2018年03月21日(水)政官のゆがみ 官僚は政権の道具か

2018年03月21日(水)朝日新聞上段社説
 政官のゆがみ 官僚は政権の道具か
https://www.asahi.com/articles/DA3S13412365.html

 

≪感想≫
>熟議を拒み、「敵」とみなした人々を批判し、排除することを繰り返してきた

 

これ、江戸時代のお上絶対主義/封建ファシズムを卒業できていない人たちの典型的特徴。

 

この江戸時代からの「陋習(ろうしゅう)」が、

日本の法曹(裁判官・弁護士)・報道人・野党国会議員から与党国会議員に至るまで完全に蔓延してしまったのが「失われた30年」になろうとしている平成という時代。

日本の健全な民主主義・健全な法治主義を蝕み続けている元凶は、

残念ながら、

未だに江戸時代のお上絶対主義/封建ファシズムを卒業できていない人たち全員。

江戸時代はよかったかのように考える(妄想する)旧幕ルーツの人たちは全員含まれる。

逆恨み/私怨の旧幕史観に狂っているように見える人や、旧幕史観に左翼史観・左翼イデオロギーのベールをかけただけのように見える人は、残念ながら、近代国家に相応(ふさわ)しい民主主義者や自由主義者では全くあり得ない。

彼らは、自分の本性が江戸時代や(江戸時代を近代的な仮面で再現したような)昭和前半のファシスト全体主義者/集団主義者のままであるということを自覚すらしていないようであるので始末に負えない。

彼ら全員、日本版ネオナチであり、日本版KKKである。勿論、靖国カルトや自民ネトサポ軍団や日本会議の連中のことを指して言っている。

安倍晋三内閣は憲法違反だらけなのに靖国カルトや自民ネトサポ軍団や日本会議からの支持もあって何故か長寿を維持している奇妙な内閣であるということは確かに問題ではあるのだが、

その憲法違反だらけの安倍晋三内閣に対して、一つ一つ誠実に、あるいは一つ一つ的確に「憲法違反!」と明言抗議し、公務員不適格者たちの憲法違反に対処するため法廷闘争を始めとする行動を全く満足にできていない日本の全ての法曹・報道人・野党国会議員たち自身が、

江戸幕府的かつ明治政府的な、ある意味、訳の分からない「安倍1強」状態を自ら支えてしまっているだけ、なのである。

こういう江戸時代を卒業できていない日本の法曹・報道人・国会議員たちのような人たちこそが統帥権侵害や補弼責任侵害で憲法違反だらけだった昭和前半の亡国や亡国戦争をも自ら招いているのである。

彼らが未だに浸り続けている江戸時代の「陋習」は、以下のようなものである。


儒教朱子学の悪影響によるお上絶対主義。

幕藩体制を無理やり維持し続けるためだった現状維持絶対主義。

ありとあらゆる人権侵害と差別。

差別を差別とすら感じさせないためのサイコパスによるサイコパスのためのサイコパス的な差別制度化。

「五人組」(昭和前半では「隣組」)や褒賞金などによる密告奨励。

藩取り潰し・切支丹禁令・島原の乱安政の大獄・(幕府自ら墓穴を掘った)長州征伐など、兎に角、気に食わない場合はサイコパスぶり丸出しの弾圧・弾圧・弾圧・弾圧・・・。

そして、これらの悪業非道の全てによる恒常的な威嚇


早い話、江戸時代を卒業しているが故に明治維新を評価できる人たちと、 江戸時代をいまだに卒業できていない情けない人たち との合作が、安倍晋三内閣なのであり、「安倍1強」状態というカオスなのである。

問題は、「江戸時代をいまだに卒業できていない情けない人たち」である。

この人たちは、元々、圧倒的に旧幕ルーツであるため、今もなお、法曹、報道人、与野党国会議員に万遍なく存在しており、表面上まともぶって阿(おもね)ったり叩いたりしているが、いずれも、安倍自民党安倍晋三内閣におんぶにだっこの甘え腐った連中に過ぎず、せいぜい、お上絶対主義奴隷ならではの不誠実極まる演技や悪巧み(わるだくみ)を行っているに過ぎない。

いささかでも本気なら、あるいは、いささかでも誠実なら、憲法違反(違憲無効)・差止請求権行使・公務員職権濫用罪・虚偽公文書作成等罪などで裁判闘争せざるを得ない問題だらけであるのにあべこべに黙認して事後共犯ばっかりやっているなどということは到底不可能なはずだからである。

よって、今回の元凶も、江戸時代を卒業できていないがためにお上の間違いを間違いと自ら明言して自ら正そうと行動しない(できない)日本の全ての法曹・報道人・与野党国会議員たちだ!という事にならざるを得ない。

 

幕末の志士たち(桜田門外の変水戸藩浪士たち、松陰吉田寅次郎、松菊木戸孝允、南洲西郷隆盛、甲東大久保利通、良庵大村益次郎、向山広沢真臣、東行高杉晋作、玄瑞久坂義助、坂本龍馬中岡慎太郎、春畝伊藤博文、世外井上馨、含雪山縣有朋、・・)やその支援者たちは、武家の棟梁たる資格を屈服開港で自ら失い且つ御用テロに狂い始めた徳川幕府に対して、抵抗権行使から革命権行使に進み、革命的政権交代明治維新として成し遂げ、1911年までに幕末の命題であった「破約攘夷(徳川幕府による国辱的不平等条約の破棄)」をも自力で成し遂げている。

彼ら、特に松陰吉田大二郎の薫陶を直接受けた長州の志士たちは、

至誠、知行合一致良知

を随時それなりに(時に文字通り命懸けで)実践しただけである。意外と秘訣は簡単なのである。但し、「言うは易し、行うは難し」が最も当て嵌まっている最も奥の深いものの一つ、のはずである。安倍晋三首相の丁寧な言葉遣いが詭弁のようになってしまったり説得力がないなどと批判されたりする苦戦ぶりを見れば明らかであろう。

なお、抵抗権行使・革命権行使は、本質的に「テロ」ではあり得ない。1776米国独立宣言以降は明文化されている形で、抵抗権・革命権は人類の普遍的な権利である として世界的に認識されているからである。アジア圏でも、元々、「易姓革命」として受容されているからである。

 

 

 

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